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“INTEC JAPAN/BLOG”的内容更新
累计:299 篇(自 2009-10-24 起)
更新:约2篇/周,最后更新415 天前
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「反ナチの砦」としてのザルツブルグ音楽祭――トスカニーニは、1938年にはワーグナーの『タンホイザー』と『ニュルンベルグのマイスタージンガー』、モーツァルトの『魔笛』、ベートーヴェンの『フィデリオ』、ヴェルディの『ファルスタッフ』を合計12回演奏するという今までにない力の入ったプログラムに取り組む計画を立てていたのです。トスカニーニとしては、自由の国の威... (307 天前)
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フルトヴェングラーについて、もうひとつご紹介しておきたいことがあります。それは、トスカニーニとの確執です。というよりも、トスカニーニという愛すべき指揮者についてもっと知っていただきたいのです。トスカニーニという人は短気で激情的な性格の人であり、すぐ怒鳴ったり、大声を出したりする指揮者であったといいます。その怒り方は常軌を逸しており、指揮棒は折る、スコアは... (307 天前)
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フルトヴェングラーは、ゲッペルスとの和解交渉で、合意内容を公表することを強く求めたのです。しかし、公表されたのは次の一文だったのです。―――――――――――――――――――――――――――――フルトヴェングラーは当局と和解し、今後もドイツで音楽活動を続ける―――――――――――――――――――――――――――――米国と英国では、「フルトヴェングラー全面降... (307 天前)
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フルトヴェングラーの条件闘争――昨日のejではそう書きましたが、フルトヴェングラーは何を考えていたのでしょうか。フルトヴェングラー自身は、自分はドイツにとってなくてはならない存在であると確信していたし、自らもドイツを離れたくはなかったのです。そしてヒトラー政権もそのことはわかっていると思っていたのです。実際問題として当時のドイツでフルトヴェングラーの代わ... (307 天前)
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1934年のザルツブルグ音楽祭に参加が危ぶまれながらも参加したトスカニーニ――彼は、オーストリアがドイツ帝国に併合される1938年の前年まで、この音楽祭に連続して参加したのですが、これによって当時この音楽祭が「反ナチの文化的砦」としての意義を持っていたということがいえます。どうしてかというと、これには少し説明が必要です。トスカニーニは、1867年、イタリ... (307 天前)
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1934年3月11日と12日にその事件は起こったのです。ウルム市立歌劇場をクビになって失業したカラヤンがベルリンにやってくる一ヶ月前のことです。その事件は、「ヒンデミット事件」として後世に伝えられることになったのです。1934年1月にフルトヴェングラーは、ベルリン州立歌劇場の音楽監督としての契約を結んでいます。音楽監督といえば、何を演奏するかの判断は当然... (307 天前)
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アーヘン音楽総監督――カラヤンがこの地位に就くに当たってナチ党の党員になったかどうかが後で問題になります。実は、第二次世界大戦が終わってから、大戦の戦勝国によって、主としてドイツとオーストリアの社会、文化、メディア、経済、司法、政治などについてナチス体制の弊害を除去することを目的とした厳しい審理があったのです。カラヤンはナチ党の党員だったのです。ナチス体... (307 天前)
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